3分でわかる、これまでのwebの流れ
1。
webが生まれてからというもの、web上にはだんだんと情報が増えてきました。
webに情報が増えれば増えるほど、自分の欲しい情報は見つかりにくくなります。
あるところに、これを整理しようと考えた人達が居ました。
その人達は言いました。
「良いサイトを集めてカテゴリごとに分けてあげればいんじゃね?」
彼らは良いと思ったサイトを登録して、カテゴリごとのwebの目次を作りました。
これが俗に言うディレクトリ型検索エンジン。
初期のYahoo!などがそうです。
2。
さらにweb上に情報は増え続けました。
もうこの段階になると、人手では対応し切れないほどのページがweb上には存在します。
そこに来た別の人が言いました。
「システムで自動的に情報を集めればいーじゃん。」
こうして出来たのがロボット型検索エンジン。
ロボットが自動で情報収集をし、重要だと思われる順で結果を並べます。
Googleはこの順番の並べ方を工夫し、人々から重宝されました。
そのページがどれだけ他のページからリンクされているか、という他者からの評価を使って重要度を判断したのです。
3。
またまた情報は増え続けました。
この頃になると、「重要な情報って何よ?」という議論が巻き起こりました。
そこに来たのがA~Cの3人。3人はそれぞれ言いました。
A「やっぱり重要なのは知ってる人から聞いた情報だよ。ほら、口コミとかだってそーじゃん。」
そう言ってAはソーシャル党を作りました。
B「いやいや、その話も分かるけど、重要なのは「今」の情報だよ。この瞬間を感じたい!」
Bはリアルタイム党を作りました。
C「そういう問題じゃなくね?web上のページを集める段階から変えなきゃ。webページに書いてあることの意味を機械が理解できるようになれば重要な情報が分かるっしょ。」
そしてCはセマンティック党を作りました・・・。
—————
かなーりざっくりですが、このソーシャル、リアルタイム、セマンティックの3つが現在の何となくのwebの流れだと思っております。
つい最近まではFacebookに代表されるソーシャル党が人々からの期待を背負っていましたが、最近はtwitterに代表されるリアルタイム党が話題です。
セマンティック党は一部の人からずっと期待されていますが、なかなか思ったようにはいかないようです。
ちなみにセマンティック党には、hakiaやMicrosoftに買収されたPowersetなどが名を連ねています。
それぞれの党は本当は厳密に分かれているわけではなく、いろんなサービスがこれら3つの考えをうまく組み合わせて使っています。
が、今回は分かりやすくするために3つに分けときました。
物語の前提になっている「情報が増え続けている」ということは、今後メディアに関連するありとあらゆる人が分かっていなければいけないことだと思います。
http://84dialog.blogspot.com/2009/05/3webweb.html
わかりやすい!
(via ssgrm)
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(via shi3z)
(via hayakasa)
(via sandbaq)40代以上になると現実の社会でそれに近い体験をしていたり(属している会社や団体の力で)、個人がカバーできる人間関係が飽和する量にすでに達していてそれを更に広げようなどとは思わないのではないかと。
一方で、30代ってのは、ちょうどネットと現実とをうまく対比しながら使ってこれた世代で、現実の狭い、不便だった面を子供時代に体験した後、社会に出てパーッと自分の世界が広がるところで現実はなんかバブルがはじけてプシューとしぼんでいったのに対し、インターネットはあれよあれよと世界が広がり、サービスは増え、素敵な未来を期待させてくれるという。そりゃー、「イヤッホー!! インターネット最高ゥォォォ!!」と言わなきゃ嘘になりますw
そして20代以下は、インターネットと似てるけどそのスモールワールドだった携帯ネットで身近な人と子供時代から繋がりまくるのが当たり前な環境で育ち、大人になる頃にはもうすでに自分の世界に登場する人達は飽和してる。会社に入社したからといって、0から人間関係を構築・拡大する気もなく、人生において必要な要素の多くはネットを通じて手に入るので、無理に現実で頑張らない。頑張りすぎた30代の打ち破れて行く姿がいやでも目に入る今、低くても良いから安定した生活を望むのは当然の帰結。
2010-05-24
(via mmtkk) (via mitukiii) (via highlandvalley) (via gosunatxrea) (via mmqqbb) (via toyoyu) (via yellowblog)「日本の医療費は毎年『過去最高』を記録し、国が支払う医療費が現在は36兆円だと厚労省は発表しています。記者クラブもそれを鵜呑みにして記事にしている。でも実際には、日本のGDP当たりの医療費は先進国でいちばん少ない。今までずっと、無理やり押さえ込まれていたんです。
それを知らない国民は『過去最高』という言葉に惑わされて、毎年医療費が膨らんでいると危機感を持つ。その結果、『患者の医療費負担額を上げる』という政策が出されれば、国民は『医療費が増えて国の税金が逼迫しているのだから、負担が増えてもしょうがない』と思い込むわけです。これは、情報操作でしょう。
さらに言えば、日本国民の医療費窓口自己負担額は、すでに現在先進国中でトップクラスなんですよ。このことも、ほとんど報じられていないでしょう。まさに、何も知らされていない国民が一番不幸です」(前出・本田医師)
Two planes coming into land @ Melbourne Airport.
shinodddddがlayer13からリブログ:
岡田 何十年かのスパンで見てみると、男が恋愛するようになったのって、たぶん1980年代ぐらいからなんですよね。70年代は恋愛してる男はナンパって言われたんです。ナンパっていうのは女の子を誘う言葉ではなくて、硬派の反対で、男らしくない男。女の尻を追いかけてる男。モテたいと思ってる情けない男のことをナンパと言った。そういう男は恋愛をしたがってると。さあ、硬派の男の、男らしい男の、男が憧れる男の生き方はどうかというと、生涯恋愛をしたかしないかぐらいが大体いいと。これが高度成長時代のおじさんたちの考え方で、どちらかというと日本ではメジャーな考え方。
どんどん遡っていったらどうなのかというと、江戸時代ぐらいになってくると、「恋愛」っていう言葉がなくて「情」っていう言葉があって。「情」は何かというと、遊郭に行って遊女と遊んで、その本気を持ち帰らない。キャバクラと同じですよね。キャバクラ行って遊ぶんだけども、それをいちいち本気にしたりしないよと。「嫁?嫁なんかもらわねえよ。俺甲斐性ねえからな」っていう江戸っ子が一番カッコよかった。私たちはそういう伝統文化の中に生きているので、男が恋愛するようになったのってやっぱりこの30年ぐらいで、30年間ちょっと無理してたわけです。
ある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術を発表した。
しかもこれはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。
「犬の餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。
ネットでは芸術家のブログは炎上し、自宅には反対するグループが押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。
それを受けて芸術家は新たなコメントをした。次の展示に使う犬は保健所で処分される予定の犬を使用することにします。
助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。次の展示が行われる日、展示される美術館では初めて開館前に行列ができていた。
鉢巻をして襷をかけたいかにも抗議団体ですという集団や、興味本位で初めて美術館に訪れましたというような一般人、
そしてそれらを面白可笑しく撮ろうする撮影人。100人以上の人が集まっていたので美術館はいつもより早く開館した。
開館するや否や、皆早足で「犬の餓死」が展示されている前に集まった。前回と同じように動く元気もないような犬が元気なく伏せっていたが、
そこに立ててあった看板だけは前回と違った。「助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。」展示の前に集まった皆が静かに周りを伺う。
多くの人が降りる停留所なのに停車ボタンを皆なかなか押さないバスの空気に似ていた。そんな中一人の老婦人が静々と手を挙げた。
この犬を引き受けたいのですが。すると奥から芸術家が現れてわかりましたと犬の縄を看板から解き、老婦人へと手渡し、また奥へと下がっていった。
縄を受け取った老婦人が屈み「もう大丈夫よ。」と犬の頭を撫でると自然に拍手が巻き起こった。
しかしそんな中、芸術家は奥から飄々と現れ、また連れてきた犬を看板に繋いだ。
どういうことだと詰め寄られるが特に気にすることもなく、今日は10匹連れてきましたから後9匹いますよ、と答えた。
人々は唖然としたが一度できた流れは変わらず、次々と挙手する人が現れた。
自分が引き受ける、いいや自分が引き受けると、我先にと手を挙げた。
芸術家は機械的に受け渡しを9回済まし、その日の展示は終了した。マスコミはその様子を何度も放映し、国民もその美談に酔いしれた。
8 : モズク:2009/09/24(木) 04:23:28.62 ID:AX8ADtbS
芸術家はその後も精力的に展示を行ったが「犬の餓死」が完成することはなかった。
どこの美術館でも用意した犬は全て貰い手が現れたからだ。それは数を増やしても変わらなかった。
展示の度に生成され続ける美談が一大ブームを作っていたからだ。そしていつしかある噂が囁かれていた。
あの芸術家は処分予定の犬達を救うためにこんな展示を始めたんじゃないだろうかと。
しかしある時、芸術家は突然展示をやめた。ブームの最中だったから人々は不思議がった。
そしてとある記者が尋ねた。「噂では処分予定の犬を救うためにこの展示をしていたとのことですが本当でしょうか?」芸術家は答えた。
「いいえ違います。それにもしそれが目的ならば展示をやめるなんておかしいでしょ?」もっともな話だった。
「では何のために展示をして、そして何故展示をやめられるのですか?」芸術家は答えた。
「それはこれからわかります。そして私の準備はこれで終わったので展示をやめます。どうぞ皆様これから行われる出来事をお楽しみください。」展示は終わった。
謎めいた発言は一時的に話題にはなったものの、その後も特に何かが起こるわけでもなかったので、
すぐに忘れ去られた。そして数ヶ月後。奇妙な現象が起こり始めた。全国各地の公園などに痩せ衰えた犬が次々と放置され始めたのだ。
「助けたい人がいたらご自由に。」と書かれた言葉と共に。引き受けたはいいものの、流行と偽善の気持ちから挙手した人が殆どで、
数ヶ月もする頃には飼うことが嫌になっていた。どうしたものかと考えつく先は皆同じで、それが芸術家と同じような手段だった。
直接捨てたり保健所に連れて行くよりも心が痛まない。悪いのは助けることができたのに、
助けることなく見ていたやつだと。かくして「犬の餓死」は完成した。多くの人の手によって。
コピペ新聞 - 犬の餓死 (via konishiroku) (via wingknights) (via rarihoma) (via kondot)
2009-09-24
(via gkojay) (via taku007) (via f5r6i5d1a3y) (via plasticdreams) (via yaruo)
(via sandbaq)――ほんとだ! ほかの出会いのきっかけはあまり変わらないように見えるのに、お見合い結婚だけグンと下がってますね。
西口 そう。で、昔もいまも恋愛結婚って少ないんです。
――お見合いでカバーしてたんですね。
西口 お見合いが社会インフラだったんですけど、それはもうなくなった。あと年齢もあります。どんどん晩婚化していく。お見合いで結婚にまで行きつくためには、「四の五の言わない」ってことが大事なんですよ。
――もう後がないからお見合いするみたいな?
西口 違います。「私はこんな人がいい、あんな人がいい」といういろんな条件にうるさくないこと。「あなたにはこういう人がぴったりなのよ」と言われて、「そんなもんかな」と、素直に受け入れて結婚するのは、若くないとできないんです。